2016年11月27日

1Q84

2009年に刊行された村上春樹の長編書き下ろし作を読んだ。実は、読んだのはこれが2回目(と言っても最初は2巻までで、3巻はその後に発売されたもの)。
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この大作の感想を書くということは、どうなんだろう、それは何というか、例えば、エッシャーのだまし絵を言葉で説明するようなもので、自分には不可能に近いな。
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根本には、前に読んだ、「スプートニクの恋人」とか「国境の南、太陽の西」にも流れている思春期前(小学生のころ)の男女間にある、肉体的(性的)なものでもなく、また同性間の友情でもない純粋な愛を描くということがある。
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それに、この小説が書かれる前(95年)に、神戸の大地震と、オウム真理教の事件、また米国では911やその後の中東の戦争があって、その時期に小説家として何ができるのかを考えて、彼なりの答えを小説に織り込んだのではないかと思った。
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小説は、青豆と天吾という2人の主人公についてそれぞれの章を交互に書かれ、いつからかその2人のつながりが章をまたいで密になっていく。やがてもう一人の登場人物(牛河)も章を作るのだけど、それが決定的な事件のカギ握っていくというものだ。面白い書き方だった。
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村上氏の長編小説は、書き下ろしが多いのだけど、どこかで読んだところでは、彼の生活は、朝に執筆をして、その前か後に10kmほどのジョギングや水泳をするという単調なリズムをえんえんと続けるといったものだった。そういうスタイルが、このような長い長い不思議なストーリーの小説を書くのには適していたのだろう。
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毎日おいしいものを食べ、飲み歩きしている有名作家とは生活の要素が違うから
中身も違ってくると思う。
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小説ではそれぞれの主人公の生い立ちや環境をこまごまと説明して描写してそれがどのように今の人生に影響しているのかをいろいろな角度から立体的に現実的に描写している。また、いろいろな逸話や何気ない言葉も印象に残った。
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例えば、前半にlunaticと、insaneの違いはわかる?というようなことを誰かに小説の中で言わせていた。どちらも、ばかげた、狂気のというような意味なんだけどlunaticは一時的なものでinsaneは永久的なもので、なぜかというと、lunaticは月(luna)で、形を変えるからというようなことだった。
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そんなことからか、月がまた小説の中で大きな意味を持ってくる。そして、滑り台も。。
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2人の主人公がが出会ったのは小学校4年のころだった。10歳のころ、小学校4年生のころの自分はどうだったろう。思い出してみた。女子と遊ぶようなことはなかったけど、話をしてうれしかったことは確かで、それは、もちろん今でもそうだ(笑)。
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多くの人は、その後思春期を過ぎて、いろいろなことを経験して、「それぞれに生活に疲れ、人生に飽き、希望は色褪せ、野心は置き忘れられ、感性は磨り減り、あとの空白に諦めと無感覚をもつ・・」
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でも2人は違った。一生を通じてその相手にその気持ちを持ち続けることはあるのだろうか。
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「論理が力を持たない場所に足を踏み入れ厳しい試練をくぐりぬけて互いを見つけ出し、そこを抜けだした。」
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きっと村上氏もそんな二人に愛着をすごく感じていたのだろう、最後の10ページは、その二人に思いっきりサービスしている。素直にうれしくなった。

ところで、今レビューを見たら性描写が卑猥すぎるというような投稿が多数あった。そうか、そうかもしれないけど、自分が読む分にはなんでもなかった。それを超越する世界観があると感じた。子供にはどうかと思うけど、まずは大人が読んで、判断すればいいのだろうな。ちなみに、この本は、大学1年の息子も感動したそうだ(笑)。
posted by ashuken at 22:53| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月13日

5年ぶりの定光寺〜善師野

ちょうど5年前に同じコースを速足で歩いたという記事があったのだけど、今日はそのコースをもう少し軽装で小走りしてみた。
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今日のコースとペースなど。runtasticっていうソフトを使ってみた。いいものか悪いものか不明だけど、走ったルートは簡単に表示される。
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ランニング用のザッグに500mlのお茶、ウィダーインゼリー2つ、おにぎり3つ、フリースと着替えのTシャツを入れていく。お茶は1000mlは欲しかった。ゼリーで代用しようと思ったけどやはり疲れるとなぜかお茶を欲しいと思う。ミネラルなどが入っているためかなあ。
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8:04定光寺駅から出発。5年前と同じ時間だ。
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5分ほど歩いて入口のアーチをくぐる。5年前は薄気味悪くくすんでいたけど塗りなおされている。
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速足〜ゆっくり走るというペースでいく。前半は400mほどの登りだ。汗がしたたり落ちる。
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長い階段を上がると。
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9:32道樹山に到着。この辺りで3人のランナーさんに何回も抜かされ、また何回も抜かすことに。どうも彼らはトレイルを走る練習をしていたみたいで、1kmほど思い切り走っては休んでの繰返しをしていたみたいだ。抜かしざまに「どこまで行くんです?」と聞かれた。「あ、善師野(ぜんじの)まで」と答えたら、そこはご存知なかったようだ。こちらもどちらまで?と聞いたら、さらに遠い「犬山まで」と答えた。う〜ん40kmほどか。そこまでは足を延ばせないな。
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9:53弥勒山山頂到着。ここで初めて休憩。ゼリーを一気に体に注入した。
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多治見方面の見晴らしがくっきりと見える。でも景色を楽しんでいる気持ちは今日はないな。すぐに走り始めた。
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10:23内津峠。
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10:35中央高速の上を走っていく。下は長野方面に車で出かけるときにいつも通る道だ。車なら名古屋から20分くらいで通る地点で、車中ではまだ市内のような気持ちなんだけど、その上に佇む今日の自分からすると、この付近でも緑の海のような丘陵地帯があって歩いたり走ったりするにはもってこいの場所だ。ただーしかしー都会の周辺にはごみの焼却施設とか、工場もあって、本来の自然の姿が人の営みで汚されている。でもゴミ問題はきれいごとではすまないのも事実だ。
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高速をわたると、そんな工場があって、周囲も整地の途中のようなデコボコの道があり、道もよくわからない部分があった。そこからはしばらく軽の四駆車なら走ることのできる程度の幅の道が数キロほど続く。小走りで行く。突然前方からドドドという音と同時にバイクが出てきて驚いた。
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こんな道でも車が通ることがあるようで、車に注意の標識があった。落ち葉の敷き詰められたトレイルではなく小石だらけの道なので足をくじかないように注意して走っていく。
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11:45.もみの木キャンプ場着。ここで昼食休憩だ。
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おにぎり2つを食べ、お茶で流し込む。おにぎりのご飯は気温が低く硬くなっている。やがて、汗が蒸発して冷えてきた。10分ほどですぐに行動再開した。川沿いの気持ちのいい道を走っていく。この辺りは日曜日のピクニックか、親子連れの歓声があちこちから聞こえてきた。心が和む。
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12:32入鹿橋着。ここまでで20kmほど。ゴールまではあと10kmくらいなんだけど、ここからも結構アップダウンがある。舗装路の脇からトレイルに入っていく。その辺りには、なにか宗教の施設のある場所があるようだ。内部ではどのような人がどのような行動をしているのか、窺い知ることも出来ない。京都の周辺の山では修行として山の中を毎日走っている修行者がいる。山中で座禅を組む修行もある。海外でもいろいろな行いを取りきめして修行している場所があるのだろう。人間の欲を断ち切るために。でも、人は(性)欲によって子孫を増やすのだし、(食)欲によって生きていく。寝ることにより健康を、健やかな精神を保つ・・(睡眠)欲。全てのことには理由がある。それをいかにコントロールするかだ。教条的になってはいけない。などと思いながら走っていく。
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このあともつらいアップダウンが続く。しかし、林の中が明るいのに気がついた。落葉樹林のためだろうか。林の木々の中を差し込む光の先をみると、ドングリがたくさん落ちている。針葉樹のない景色が好きだ。
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14:10.ゴール近くになって、自販機を見つけ、お茶を購入した。疲れた体は恐らく本能的に販売機の中のサンプルを見て体が何を欲しているのかわかるのだろう。
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14:40.ようやくゴールの善師野の駅に到着。間もなく到着した名鉄に乗車した。








posted by ashuken at 22:12| Comment(1) | 東海自然歩道を走る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする